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胎安神社と子安神社の関係


子安神社

子安神社は、胎安神社創建40数年後の大同年間に建てられ、両社同じ様な記録や言い伝え、
「しきたり」が残っています。
利根川を挟んで鎮座する常陸一之宮である鹿島神宮、下総一之宮である香取神宮は、
ほぼ同時期に創建、一体であったと伝えられている由緒ある神社です。
よって、香取神宮の御分霊である胎安神社と、鹿島神宮の御分霊である子安神社も、
一体であり、同じ宮司が守っていたのではないかと考えられる絵図も残っています。


府中(石岡市)の国分寺(尼寺)方向に続いている「鎌倉街道」を挟んで、
本殿が、北向きの子安神社、南向きの胎安神社、
どちらも、社(やしろ)は、小さいけれども、他の村社との違いが見られます。
200m以上続く参道、同じ社紋の「笹竜胆」など、史実にはない歴史のロマンを感じさせます。
鎌倉時代、源義家親子が、「奥州征討」の際に、この地域は、宿営地域となり、両社だけでなく、
近隣村社にも参拝、奉賽、寄進などの社伝が残っています。 
「子授け、安産の神」の胎安神社と「子どもの健やかな成長を護る神」の子安神社は、
両社の由緒の通り、参拝者には、相並ぶ神として崇敬されています。
江戸時代後期に、御神徳によって「胎安講」「子安講」が盛んになり、
以来、両社の例祭胎安神社3月3日、子安神社9月3日には、遠方からも「講中」を組んで、
参拝に訪れるようになりました。
両社の関係は、今後の研究に託したいと思います。


鹿島神宮

樹齢 数百年の欅

子安橋付近 天の川
更級日記考
かすみがうら市の歴史研究家、藤崎行雄さんは、次のような考察を行いました。
有名な、平安時代・菅原孝標の女の「更級日記」の「東より人来り・・・」に登場する「子忍びの森?」は、
従来の「笠間市押辺おしのべ・地名説」ではなく「子を偲ぶ森」であり、
この神社の地域ではないか・・・という研究を発表されたのです。
菅原孝標は、上総国(千葉県)国司(上総介))から、常陸国(茨城県))国司に転任になりました。
当時、新任の国司が、任国に着くと、「神拝」と称して、神社を参拝して回る慣例があり、
その時、詠んだ歌とともに女(娘)に手紙を送り、後になって、回想日記に記したと考えられたのです。
常陸国府は、この地域から1里(今の石岡市から4Km)弱、当時から、神社が点在していました。
両神社の持つ由緒、歴史と、杜の様子、江戸時代に描かれた胎安神社由緒絵図などから、
信憑性の高い説と言えるようです。


子忍びの森?

本殿
子安神社の由緒
平安時代初期、大同2年(807)鹿島大神と駿河国、富士浅間大神の御分霊を鎮斎しました。
その時代末期に、源頼義父子の奥州征討軍が、
三村正月平(現石岡市)に宿営した時(1055年前後)、たまたま、当社の由来を聞き、
感銘した父子は、早速、流れ(天の川)に橋を架け(子安橋)、
神主に依頼し、朝敵降伏、国家安泰の祈願をさせました。
また、康平6年(1064年)には、征奥の大任を終了し、凱旋に奉賽(お礼参り)、
社殿修理、祭祀料の寄進をしたと伝えられています。
この時期、胎安神社及び周辺神社にも同様な記述があります。
子安神社は、全国に存在しますが、ここは、社伝が少なく、詳細不明ですが、
遷宮、改修は、寛文13年(1674)、貞享3年(1686)、
享保14年(1729)、文化4年(1807)の記録があります。
別掲、胎安神社の由緒、沿革と照合すると、一体関係であったことは、
疑いの余地がないようです。
鳥居建立は、宝暦3年(1753)、灯篭建立・安永2年(1773)となっています。


表参道

御手洗池

かすみがうら市内の村社
下記13社は、胎安神社宮司が兼務していますが、この他にも、かすみがうら市内には、
地域の守り神として、有史以来の由緒ある村社が、点在しています。 
下志筑 若宮八幡神社
(わかみやはちまんじんじゃ)
創建年代は不詳ですが、胎安神社、子安神社と同じく、神紋が、笹竜胆(ささりんどう)で、社伝によると源頼義父子が、奥州征討で、下雫村(下志筑)に在陣中に、当社を崇敬し、その後、現在地に遷座したと伝えられています。
天正2年(1574年)小田・佐竹合戦で、兵火のため、類焼。江戸時代、志筑藩主本堂家の崇敬社となり、修繕、修復の寄進がありました。慶長5年(1600年)に社殿造営以降、何度も遷宮、修営、その棟札があります。御神木は、樹齢500年の杉、霞ヶ浦市内屈指の由緒ある神社です。
飯田 厳島神社(いつくしまじんじゃ) 
創建年代不詳ですが、社名の通り、安芸国厳島神社の分霊を合祀しています。
文政元年以降(1818年?)社殿を現在の地に奉遷しました。特殊な神事が残っていて、氏子全戸が当屋(当番家屋)を年番制で引継ぎ、祭礼当日には地区内の家族全員が当屋に集まり、寝食を共にします。よって、各戸では台所で煮炊きをしない「鍋かけず」の行事となります。当地区は大嘗祭に見られる「神人共食の場」と相共通し、本膳が供えられます。お膳の内容がとてもユニークで、寺院の精進料理のようです。

上佐谷 天ノ宮神社(てんのみやじんじゃ) 
創建年代不詳ですが、元禄16年(1703年)に本殿が再建されました。社伝では、領主本堂氏が、神社領地の1町歩を除税地とし、毎年の祭事には寄進をしました。また、江戸徳川三代将軍、家光公の参拝もあり、葵定紋附三ツ組木椀の寄進がありました。宝永2年(1705年)には社殿が再建されました。
特殊な神事として「雨乞祭」があります。天明(1781年?)年間の飢饉に際し、祈雨行事として、七福神が船に乗り、その中で、弁財天が大盃にて亀に酒を呑ませている図柄を描いた色彩豊かな大慢幕 (長さ30尺・巾10尺))があります。
旱魃で、作物に一雨ほしいと願う時、この幕を張り祈願すれば慈雨があると伝えられ、雨が降るまで笛・太鼓のよろしく舞・唄い、山海の供物をし、念ずると霊験あらわれて降雨があると信仰されています。この神事に先立ち、総代が石岡市村上の佐志能神社(さしのじんじゃ)「御手洗(みたらし)」の水を迎えて供えます。
下佐谷 天満神(通称二木天神・天神様)
創建年代は、天暦9年(955年) 公卿三位七条信元が、神社領地の4町歩を附して、7間4面瓦葺の社殿を建立勧請し、一つの木幹から、御神像3体を作成しました。1体を京都北野天満宮に奉納。残り2体を天満神社に奉斎。それ故に「二木天神」と称されました。天正年間(1573年?)の兵乱で、社殿が全焼荒廃しましたが、その後、志筑領主・本堂信親公が慶長3年(1598年)8月25日に、仮の社を建立。神社領地の1町歩を除税地とし、毎年の祭事には寄進をしました。
また、江戸徳川3代将軍、家光公の参拝があり葵定紋附三ツ組木椀の寄進(社宝)がありました。宝永2年(1705年)には、社殿を再建。志筑領内11ヶ村の鎮守となりました。
御神木の樅から湧出する樹液は腫物に効験ありとの伝えがあります。境内社として、須賀神社(下記写真))をもち、下志筑・若宮八幡神社とともに、かすみがうら市内屈指の由緒ある神社です。

中佐谷 香取神社 
創建年代詳細不詳ですが、 安政5年(1858)4月10日。明治15年4月15日。
明治20年10月2日に造営の記録があります。
新治 新治神社
創建年代不詳ですが、当社の北東2町余り行くところに、「新治の井」があり、御手洗と称しています。社伝によると、例祭には、氏子一同の禊場(みそぎのば)となりました。元々の伝承は、この御手洗を、日本武尊が巡狩の折、国造 眦奈良珠命に命じ、井戸を掘らせたところ、流泉浄澄、日本武尊は大いに喜ばれて、手を洗い、御衣の袖を漬けられた所とされています。
元亀(1570年?)年間に、現在の石岡市三村の地の三村城主三村七郎平常春公が崇敬され、田1石を寄進し、永く祭祀料を奉納されました。文禄4年(1596年)9月28日に社殿再建、御神木として、樹齢300年の樅があります。


五反田 八幡神社
慶長7年(1603年) 志筑藩主本堂伊勢守が、出羽から移封の時、その地より遷宮しました。享保11年(1727年)下志筑若宮八幡神社の分霊を合祀しています。
下土田 鹿島神社
社伝によると、大同年間(806年?)の創建、延元(1336年?)中に、再建されました。胎安神社、子安神社などと同様、源頼義が、奥州征討の途中、当社に祈願し大任遂行の帰路、奉賽した・・という言い伝えがあります。
特殊神事として、地区内青壮年の構成する「志士会」先導で、子供みこしで、氏子地区内を巡幸、「郷内安全・五穀豊穣」を祈念する祭礼があります。(祇園祭)


上土田 鹿島神社
社伝によると、大同年間(806年?)の創建、子安神社に次ぐ古い歴史があります。
特殊神事として、境内社須賀神社の例祭日(7月15日)に氏子区域を神輿が渡御、又、神賑として獅子舞の献舞があります。(祇園祭)。例祭には、氏子内の七五三の児童が健康安全祈願をし、併せて、花角力の奉納もあります。
市川 熊野神社
創建年代不詳ですが、旧千代田町、最大で最古の前方後円墳(県指定文化財)である熊野古墳の上に鎮座しています。
恋瀬川下流、霞ヶ浦に注ぐところに「舟塚山古墳」があり、この地域の古代の隆盛を想起させます。

志戸崎 鹿島神社 (通称志戸崎鹿島様)
創建年代不詳ですが、仁和2年(886年)鹿島の神を勧請したと伝えられています。
横堀 鹿島神社
創建年代不詳ですが、広大な境内、社林を有し、他の鹿島神社と同年代の歴史があると思われます。
桜並木の長い参道が特徴です。

山本 熊野神社
創建年代は不詳ですが、明治43年6月下佐谷天満神社に合祀されていたものが、昭和31年10月神社本庁の承認を得て分祠したものです。
下佐谷 須賀神社
下佐谷 天満神社の境内社として創建されました。

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